今回はですね、人の素の部分が分かる話です。
社会人になってある程度経つと色々な人と出会ったり関わりを持つ事が増えてきます。
そしてそこから人との関わり方や距離感というのが自然に身に付いてくる訳です。
要するに気を使う事を学んでいくんですよね。
この気を使うことの場面は初対面の人や自分との関係際がまだ浅い人達全てに含まれるます。
まー当たり前ですよね。
気を使う事は人間関係を円滑にしてくれる素晴らしい行為ですが一方でその人の本音や素の部分が分かりにくいという側面もあります。
しかしそんな分かりにくい人の素の部分が簡単に分かってしまう見方があるのでそれをお話していきます。
お客さんと店員の立場
この話は販売の仕事をしてる友人としている時に思い付きました。
これはサービス業で仕事やアルバイトを1度でも経験がある方はよく分かると思います。
当たり前の話ですがお店にお客さんとして入るのとそのお店の店員の関係はサービスを受ける側と与える側になります。
もう少し極端に立場を言うとお客さんが上で店員が下と言う事です。
この関係性がその人の素が見えやすい関係性なのです。
これが職場の場合、年齢や役職者などの立場が明確なのでやはり自分以外の人にはそれそうおうの気の使い方で対応します。
また、職場以外のプライベートの場合長い付き合いの人(友人や先輩、後輩)を除く関係性の浅い人達に対してはフラットな関係性です。
この場合もどちらが上とかは無いので基本的にはお互い気を使う事になります。
しかし、お店の場合はサービスを受ける側の立場が上と明確です。
上下という表現が的確かどうかはおいておいて、要するにこちらがお客さんの場合って相手(店員)に気を使う必要が全く無いんですよね。
気を使ってもてなす側は店員の方なので。
だからこそお客さん側その人の素が出やすい。
やっぱり仕事場などを離れている時は人間誰しもリラックスしてたい物ですよね。
だからその人本来の素の部分が自然と出てしまうのですよね。
素の部分が見える場面とは
お客さんに声をかけた時
例えば僕がお店で店員としてお客さんに声をかけた時のお客さんのリアクション。
アパレルだったので『良かったらお鏡ありますので合わせて見て下さい』みたいな感じです。
かけた言葉に深い意味は無く挨拶の様な物です。
定番的な物でお客さんからしてみれば聞き飽きた的な所はあると思います。
もうちょっと捻った声のかけ方あるんですけど、ここでは話が逸れてしまうのでそれはまた今度。
それでその声かけに対してのお客さんのリアクションは様々でしたね。
目を合わせて会釈する人、『ありがとう』と返事をしてくれる人、無視して服を見てる人。
いや、別にどんなリアクションとろうが良いんです。
お客さんとしてお店に入って頂いてるので、買う買わないは別としてそれだけでもありがたい事ですから。
でもそのリアクションでその人の素の部分が垣間見えてしまうという事も1つあります。
話かけたこちらに笑顔で『ありがとう』と言える人は、明るいとか社交的といったポジティブな性格を連想してしまいます。
軽く会釈とかされる方も多かったですね。
まー一般的というかスタンダードな対応で話してみると良い方が殆どでしたね。
また、こちらに気付きながら無視してしまう人は暗そうとか内向的で人付き合いも少なそうな印象を受けます。
たまにいました、話しかけたコチラに目も合わせず会釈もせず完全にスルーして服を見続けた方。
ちょっとビックリしてしまうと同時に今までどんなふうに生活して育ってきたのかな?と考えてしまいました。
繰り返しますがそういうリアクションが良いか悪いかとかではなく、そのリアクションでその人の素が想像出来るという事です。
フィッテングで試着をした時
フィッティングルームで試着の際にも素が出ます。
洋服は試着しなければ分からないので気になる商品は存分に試着すべきです。
素が出るというのは試着を終えた後。
これも色々なパターンがあります。
丁寧に持ってきた状態に戻して返す人。
お決まりの商品以外は試着室に置きっぱなしの人。
脱いでそのままの状態で去っていく人。
こんな風に言うと上からみたいで申し訳ないのですがその人の素というか育ちみたいな物を感じてしまいます。
細かいようですがその人の脱ぎ方というか脱いだ後の服の状態なんかもそういう育ちみたいな物が垣間見えます。
ボタンをキチンと留める人
服を脱ぎっぱなしの裏返しで渡す人 など。
ビックリしたのがレディースのお店で働いてた頃で普通に脱ぎ散らかしたまま去っていく人とかがいたりして衝撃を受けた記憶があります。
失礼ですがそういう人の部屋もおんなじぽいなーとか思いました。
子連れのお客さん
ショッピングモールのレディースで働いていた時期もあったので子連れのお客さんも多く見かけました。
この場合も子供と親をセットで色々なパターンを見ました。
僕は子供が好きなので自然に目を向けてしまうのですが、色々な子供がいます。
大人しく親の側で一緒にいる子、お店の端でゲームしながら親を待ってる子、駄々をこねる子、お店を走り回る子。
その子の性格もあるでしょうが、親の買い物なんて退屈以外の何物でもないでしょうに大人しくしてる子とか偉いなーとか思います。
これもその子の家庭や育て方に関係があるのでは?と考えてしまいます。
対して駄々をこねる子やお店を遊び場か何かと勘違いして走り回る子。
駄々こねるだけなら多少うるさいだけで良いんですけどね。
狭いお店で走り回られると什器とかにぶつかったりしてその子が怪我などをしてしまいそうで危ない。
また商品をかき分けて走り回るので他のお客さんにも迷惑がかかります。
子供のする事ですからお店でどんな事しようがその子自体には責任はありません。
問題は親。
子供は責任取れませんから責任持って親は自分の子を見て欲しい物です。
直ぐに注意したり、怒ったりして止めさせる人もいれば全く見向きもしない人も。
見向きもしない人か本当にビックリです。
せっかく買い物に来たのだからゆっくり洋服みたい気持ちは分からなくもないのですが自分の子供ですよ。
僕は子供もいないので親の気持ちとかは分からないし、ここでこんなふうに語るのもおこがましいのですが部下を指導、教育した時は沢山あります。
部下がやらかした失敗は自分の責任だし、自分の指導力不足。
部下がやらかして一緒にお客さんの家まで謝りにも行きました。
同時に部下の成果も自分の事の様に嬉しかった。
自分と同じ位か下手すると自分の事以上に気にかかってました。
これって親と子の関係性に近い物なのでは?と思います。
仕事上の関係性と家族なので全く同じとは言いませんが子供や部下を思いやる気持ちって一緒じゃないですか?
なので目の前で走り回る子供に全く見向きもせずに洋服を見ている親は本当に信じられません。
子供が怪我したらとか?他の人に迷惑をかけたら?とか考えたりしないのですかね。
何よりそういう事を平気でやってしまう子供の将来とか未来とか考えないのですかね。
何かを叱ったり注意するのって基本的にその場でしないと伝わりづらい物ですよね。
子供の場合特に。
僕はこういう場面で一向に親が注意しない場合は直接子供に『お店の中だから走っちゃダメだよ』と言ってました。
ビックリした時があって僕がそう言った時に親が子供に
『ほら店員さんに怒られちゃたじゃない』
と言ってた時。
いやそこじゃないでしょ?
何故怒られたか?でしょ。
親のあんたも含めて。
何も知らずに楽しそうにお店を走り回る事を親から注意されない子供がとても不敏に感じてました。
ここでも家庭での素が回まみえてしまいます。
3つ例に挙げましたがどれも共通して言えるのはその人に余裕があるか?という事。
声をかけて笑顔で応答出来る人には人間的な余裕とか自信を感じます。
服を脱ぎ散らかしたり、子供をスルーする親も同様で自分以外に目を向ける余裕がないのかなと。
まとめ
今回の話はサービスを与える側からの視点でした。
お客さんであるサービスを受ける側はお金という対価を支払っているので、基本的に常識の範疇であればどんな行動や態度を取っても構わないと思います。
ただ、こういう視点を持っておくと例えば初デートで彼、彼女と一緒に買い物や食事に行った時にその人の素の部分を垣間見える事が出来て面白いかなと。
よく書かれてますよね?女子が引いてしまう男性の行動に店員さんに対して取る横暴な態度という事。
まさにその人の素の部分を表してますよね。
そういう意味ではアパレルなどの洋服のお店などはそういった日常の生活習慣が垣間見え易いのかなと。
衣食住の衣ですから。
初デートなどで誰か一緒に行動する際にはそういう部分にまで気を配ると思いますが、やっぱり長年積み重なっている物は態度や仕草に出易い物。
試着の服を脱いだ直後の服の状態とかはまさにそういう習慣的な物が出易いのかなと。
特に婚活されている女性とかはここまでお話してきた視点を持ちながら男性とデートしている方も沢山います。
なのでそういう方とデートする場合は意識しないと失格の烙印が・・・
逆にこういう視点でその人の素の部分を見ても面白いと思います。
その人がどんな人か?は案外自分と話をするよりも、お店に行ったときの店員への態度や仕草で分かってしまうのかも。
それだけが全てではありませんが。
先程も言いましたが、サービスを与える側の人にまで目を向ける事が出来る余裕や自信はその人の人間的な魅力にも繋がってきます。
と偉そうに書いてる僕ももっと余裕のある人間になろうと思っています。